旅のあとで

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塗り壁の文化を伝える

風景雑話(第1回)

旅のあとで

小林澄夫

田舎のうらさびれた過疎化した街を歩いてまた風景に帰り着く。木枯らしに散り落ちる前のいっときの黄葉した木の葉や、摘み残されたまま熟れたぶどうの実のような悦楽と豪奢を旅のあとから思ってみないわけではない。ひとつはかつて商業と漁業で栄えた町、もう一つは土管を焼いた町。いずれも海に面した土佐の赤岡と半島の常滑の町・・・。そんな町の瓦屋根とコールタールを塗った黒い板壁の路地を歩いて来た。風景。風景の対位法。
たぶん、この遠くで形づくられた都市の風景・・・ますます強制力を増して来た都市の文化環境の中で解体され、断ち切られ、細片と化したまだ個人の品位を保つ事物のかけらをバロック音楽のパッサカリアのますます増殖していく装飾のように帰り着いた都市の風景の中で、高層ビル、ガラス窓、地下鉄の蛍光燈の光、信号標識、ネオン、時刻表、記号、ショーウインドウ、看板文字、サイン・・・それらに旅でみた低い瓦屋根の民家の並ぶ街道、朽ち果てた土管工場の泥壁、廃屋、雑草におおわれた空地、コンクリートの防波堤に囲まれた漁港や漁船を対位する。
海はある。青空はある。それらは私の存在の一部なのだから・・・。
それは風景ではない。それは私の存在の一部なのだ。事物のパッサカリア。
私の言葉・・・。私は死ぬ。言葉は生き残る。

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