芝氏連載3

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甘楽紀行

特定非営利活動法人 緑の家学校 芝 靜代



年末に群馬県の甘楽町に行った。東京駅から上信越新幹線に乗り1時間、高崎駅で降り、上信電鉄に乗って上州福島駅下車、南に約3~4kmの場所にある甘楽町の小幡地区に向かう。江戸時代は、主に織田宗家が支配した場所で古い街並みが残っている。小幡地区に入ると、桜並木と古い町並みと小さな濠が見えてくる。甘楽町を南北に流れる雄川堰だ。日本の名水100選にも選ばれた生活用水路で、古くから人々がこれを利用してきた。

四辻向こう角にレンガの大きな建物が見えてきた。旧甘楽社小幡組煉瓦倉庫(現・甘楽町歴史民俗資料館)だ。1926年築のレンガ倉庫。製糸工場を運営した甘楽社小幡組の建物で、この地区の養蚕産業を代表する建築だ。

「楽山園」という道の案内板に従って右折、すると小幡陣屋跡周辺となった。江戸時代に小幡を統治した小幡陣屋(幕末期には小幡城と改称)は、明治維新後に建物や土地が払い下げられた。武家屋敷とその石垣や、道路は当時のままに残る。

整備中の楽山園にある建物で作業中の知人の左官屋さんの現場を訪ねた。そこは十九間長屋と呼ばれる茅葺、土壁の家。江戸時代の下級武士の住まいだった。

掘り出された遺跡を復元していた。竹木舞と荒壁がつけられた長い長~~~い建物だった。その長い外壁の壁の色はくすんだ黄色でなんともいい中間色。群馬の名工が自分で土を選び、すさを作り調合した土漆喰だ。

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楽山園は小幡陣屋の関連施設。今は発掘中で、平成24年ごろの整備終了予定で、御殿も復元されるとか。すぐそばにはお城の大きな割り石の石垣がある。周辺にはしんと静まり返った広大な武家屋敷群があり、丸石を交互に斜めに積んだ石垣や常緑の生垣、土塁の上の松の木の列植、土と敷石と砂利の道がどこまでも続く。

少し歩くと、中学校の裏手に県指定文化財。旧小幡藩武家屋敷・松浦氏屋敷がある。約300年前に造られた小幡藩織田家統治時代の武家屋敷。本来は茅葺屋根の家だが、トタン屋根を載せて保護してある。建物は老朽が著しく、現在は中に入れない状態だ。雄川堰から取水する小堰を利用し、山々を借景にした庭は小さいが、武家屋敷の庭園としてはなかなか趣向が凝らされ、素敵だ。

立ち寄って、コーヒーをいただいた蕎麦屋。これも天井のやけに低い古い武家屋敷だ。庭には樹齢100年は優に超える梅の古木があった。まだ固いつぼみをいっぱいつけている。紅梅か?白梅か?梅のかぐわしい匂いがあたり一面漂うさまを思う。

帰り道、大きなムクロジの実を拾った。障子紙色の半透明な硬い外皮の中に、真っ黒な丸い種があり、振るとカラカラ音がする。昨年拾った同じ木の実はいっそう固くなり、濃い茶色になっていた。並べてみると、1年という年月の重みを感じる。

年々歳々花相似たり、年々歳々人同じからず。

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PHOTO 芝 静代  ムクロジの実
(実は羽子板の羽の材料になり、また実の皮は石鹸の代用に古くから用いられてきた。さらにジャワサラサの染色過程で重宝されている)

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